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→近鉄の駅
→四日市市立博物館
四日市の水道はおいしい、といわれている。
実は、四日市市内に25ヶ所の井戸があり、現在市内の水道水は、
約7割が井戸水なのである(うち2割は東員町にある井戸)。
そのためにおいしいといわれている。
鈴鹿山脈のすぐふもとで三滝川や朝明川・内部川が伏流水となり地下に潜るため、
地下水がとても豊富で、水不足にならないともいわれている。
そのためか、酒作りも盛んで、川島・桜、室山、楠などに酒蔵が集中しているのは
その伏流水が取れる井戸があるのが一つの理由となっている。
追分にある井戸水にはずっと列が出来ている大人気スポットになっていて、
ポリバケツやペットボトルを持った人がたくさん訪れている。
これは、泊のところからひかれている井戸で、昔から飲料水として使われていた水である。
また、マンボや用水など、農業などに必要な水を得るために掘った横穴式潅がい用水が市内にはたくさんある。
水沢の辻久善(つじきゅうぜん)は20年以上もかかって瀬戸用水を作りました(そのお礼の祭りが「お諏訪踊り」)。
また、八郷地区の善八水道の伊藤善八(いとうぜんぱち)、羽津用水を作った荒木十兵衛・野村増右衛門などなどの
名前は後世にまで残っています。
また、最初の上下水道を作ったといわれている富洲原地区の伊藤平治郎(7世)も有名です。
ジャスコ四日市北の東南にある平治郎橋を作ったのももちろんこの方です。ちなみに富洲原に紡績工場を
持ってきたのもこの方です。
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→和無田のマンボ
→智積養水・酒蔵
→泗水の井戸
マンボとは、横穴で掘られた潅がい用の隋道(トンネル)で、四日市市内にも今でも大きなもの
だけでも11個のマンボが現存しているといわれている。
丘陵地の地下にまっすぐと横に掘られた横穴の壁から染み出る地下水を集めて外に出していると
いうもので、農業用水として使ったり、中の温度は一定ということを使い、野菜の越冬用として
使っているところもある。
その中で一番ポピュラーなマンボが和無田町の和無田池・和無田神社の横にあるマンボ。
江戸時代末期に出来た長さ490mもの隋道で、掘り出した土を外に出すための「日穴」とよば
れる縦穴も13個ある。絶えずきれいな水が出続けており、出たすぐにある和無田池に注ぎ込
む。池では珍しいコオホネとよばれる植物も見られる。
そのほかの主なマンボとしては、全長680mの堂ヶ山マンボ(堂ヶ山町)や、市場マンボ(西
村町)、善八水道(山村町)、水沢東町マンボ(水沢町)、孫ヶ谷マンボ(鹿間町)などがあ
る。また江戸初期に出来たマンボ(瀬戸用水・水沢町)も市内にはある。
また、和無田のマンボから出た水は、和無田池に流れるようになっているが、その池には貴重な生物である
「コオホネ」が生息している。黄色い花をつける。この花は、保々地区の古城川でも見られる。
水辺の環境整備の一環としてか、最近整備された公園(というか、河川敷?)。
富田一色町と東洋紡跡地(現ジャスコ)の間に流れる水路を整備して作られた。
昔は、そこは、運河で、近年ではコンクリートで固められた、とても深い川で、
ずーっとフェンスで囲まれていた。
新しく、東屋や、いろんな木や植物が植えられ整備され、
川の横を散歩できるようになっている。
なにか昔の形をした蛍光ランプやナトリウムランプが、無造作にならんでいるが、
なんか、あそこは、昔は天の川がうっすら見える道だったのになぁと
ちょっと残念である。
鈴鹿山脈の鎌ヶ岳と、入道ヶ岳(中学校の自然教室で登山した人も多いのでは?)の間に広がる
内部川の上流にあたる渓谷。
宮妻峡には、市営のキャンプ場がある。夏季のみの営業だが、大雨による時々土砂崩れで、
いけなくなったりするときもあり、97年には、一度陸の孤島になって、救出されることも起こった。
(4〜11月がシーズン、テント4人3000円、バンガロー1棟5000〜1万円)
宮妻峡にいく手前には、もみじ谷という紅葉の名所があり、11月下旬あたりには「もみじ祭り」を
開催し、ライトアップする。真っ赤にそのあたりが染まる。
また、冠山茶ノ木原という、名所も、宮妻峡ともみじ谷の間にあるし、
ハングライダーの滑走場所もあるため、時々、ハングライダーが、そのあたりを飛んでいるのを見かけます。
でも、車でしかいけませんが、道がとても狭いので、注意してください。
■よく土砂崩れがおきやすいので、通行止めになることもしばしばありますのでお気をつけください。
97年や2004年の台風などで土砂崩れが起こっておりました。
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→冠山の茶ノ木原
→もみじ谷
近鉄海山道駅前にあるお稲荷さん。海山道は「みやまど」と読む。
毎年2月の節分のときには、「狐の嫁入り道中」というお祭りが行われ、平日・休日問わず、た
くさんの人でにぎわう。厄年の男女が、狐のお面をかぶって、模擬結婚式を行うというお祭り。
もちろん周りの人もみんな狐のお面。結婚の契りの言葉も「コーン、コーン、コーーン」という
ユニークなものである。
百人一首の「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」という句を、
覚えた人も多いでしょう(僕は最初に偶然覚えていた)。
実は、この句、この四日市水沢のもみじ谷で詠まれたものなのです!
この「もみじ谷」は、17世紀の頃から菰野藩主たちの紅葉狩りの場所として
重宝されていました。当時は「楓渓」といわれていたが、1809年、菰野藩
(当時は、水沢は、菰野藩の領地だった)の藩主が「もみじ谷」と命名した。
ずっと藩主の命令で、この付近の自然保護をされてきたため、この紅葉の名所は
今でも持続されているのである。
これは、東海自然歩道の一部になり、また、宮妻峡へ行く途中でもあるので、
ハイキングとしても、とてもいいところであろう。
11月下旬あたりには「もみじ祭り」を開催し、ライトアップしたり、屋台を出したりしていて、
名古屋の方から来る人もすごく多いです。